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寓話「アリとキリギリス」に学ぶ、人生を生きやすくするコツ

表の顔と裏の顔

あなたは「アリとキリギリス」という寓話をご存じですか?

働き者のアリと、遊んでばかりいるキリギリスのお話しです。

イソップの有名な寓話ですので、ご存じですよね。

でも、この寓話、もともとは「アリとセミ」だったって、知ってました?

これを知っている方は少ないんじゃないでしょうか(笑)

ストーリーは、キリギリスがセミに置き換わるだけでほとんど一緒なんですが、念のためにここで紹介しておきますね。

 

秋も深まった晴れた日に、アリは夏の間にせっせと溜め込んだ穀物を巣穴から引っ張り出して、陽に当てて乾燥させていました。

そこへ、お腹を空かせたセミが飛んできて、自分にも少し分けてくれないか、と頼みます。

アリが「セミさんは夏の間、いったい何をしていたの?」と質問すると、セミは「別に怠けていたわけではないよ、忙しく歌を歌っていました」と答えます。

それを聞いたアリは笑いながら「夏に歌っていたのなら、冬は踊ればいいんじゃない?」

 

アリの想いとしては、セミが優雅に歌っている間も私はせっせと働いて冬に備えていたんだ。

自業自得だよ!

という感じでしょうか。

私たちがよく知る「アリとキリギリス」の話も、ほぼ大筋は同じです。

夏の間せっせと働くアリをみて、キリギリスは小馬鹿にします。そんなに働いてどうすんの?

ところが秋になり、冬が近付くと、夏のあいだ遊んでばかりだったキリギリスに対し、アリは万全の備えで冬を迎えます。

この寓話の教訓は、

余裕のあるときに将来に向けて備えることで、いざというときに困らずにすむ。

ということでしょう。

だから、セミやキリギリスのように遊んでばかりいないで、コツコツと愚直に働くことが良いことなんですよ・・・・・・

私たち日本人の価値観も、この考え方に近いせいか、アリとキリギリスの寓話は教育の現場でも頻繁に取り上げられます。

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この考え方って、本当に正しい?

間違っている、と言うつもりは毛頭ありません。

良いときも良くないときも愚直にコツコツと働いて将来に備える。

とても素晴らしいことだと思います。

ただし、キリギリスやセミを一方的に非難するのはどうかと。

例えば、こんな解釈はいかがでしょうか?

 

アリは自分だけ豊かになれればそれでいい利己主義者で、だから寸暇も惜しんで働き続ける。

将来に備えて・・・・・・とは言っているが、将来を憂いている悲観論者でもある。

反面、キリギリス(セミ)は人生を謳歌し、生きることそのものを楽しんでいる・・・・・・

 

このように考える人もいると思いませんか?

個人的には、私は後者の考え方がしっくりきます(笑)

どちらが正しいか、ということではなく、どちらも考え方次第で正しいということを知ることが大事なのではないでしょうか。

自分自身がより広い視座を持つことで、自分が受け入れやすい考えを取り入れていけば良いのだと。

そうすれば、多少なりとも生きにくい時代を生きやすく出来るのでは?

 

ということで、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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